◆市名の由来
廈門は「アモイ」の名で国際的に知られていた。廈門の古い地名「下門」は、南語の州方言では白話字(POJ)ローマ字表記で Ē-mûi(泉州方言では Ē-mn̂g)となり、ここからアモイに転じたと思われる。
◆地理
福建省南部の九竜江河口付近に位置し、アモイ島や鼓浪嶼を含む。鼓浪嶼に近い金門島は中華民国の領土である。台湾海峡を隔てて台湾島を臨む。
◆アモイの歴史
晋代に晋安郡同安県の地となり、五代・宋以降は泉州に属した。明代の1387年に廈門城が築かれてアモイの名が起こった。明末清初、鄭成功が1650年にアモイを本拠とし、思明州と命名したが、清軍に占領され1680年に清朝によって廃された。1684年、清朝は対外貿易を再開し、アモイは中国人商人による東南アジア貿易で繁栄し、また台湾の開発が進むにつれて台湾との貿易も増大した。
アヘン戦争では1841年にイギリス軍に占領され、1842年の南京条約によって外国人に対して開港し、1860年代からは烏龍茶の積出港として海外に知られるようになった。1862年にイギリス租界が、1902年には鼓浪嶼に共同租界が設置され、外国商社の商館が進出した。その後、アモイの烏龍茶は日本茶・台湾茶との競争にやぶれて衰退、また台湾との貿易も日本の台湾領有によって衰退した。一方で、アモイは移民の送り出し港となっており、大量の東南アジア方面への出稼ぎ者からの送金で、アモイの貿易は維持された。また20世紀になると、東南アジア華人からの投資も始まった。1935年アモイ市制が成立したが、1938年には日本海軍に占領され、占領は1945年8月の日本敗戦まで続いた。その後の国共内戦では、1949年10月に解放軍によって占領された。
中華人民共和国成立後は、1973年同安県を吸収して傘下に収め、1997年に同安区としている。改革開放政策により、1981年に経済特区が設置され、主に対岸の台湾資本を集めて経済成長を遂げた。2000年には大規模な汚職事件が摘発され、200人以上が逮捕された。
台湾(中華民国)が支配している金門島との間に小三通が認められている。
◆アモイの行政区画
アモイ、2004年撮影廈門市は以下の6市区によって構成される。
思明区 - アモイ島南部に位置し、市の心臓部である。人口73.6万人。
湖里区 - アモイ島北部に位置する。人口12万人。
集美区 - 市の中央部に位置し、アモイ島とはアモイ大橋で連絡する。台商投資区が設置され、人口28万人。
海滄区 - アモイ島対岸に位置し、台商投資区が設置されている。
同安区 - 市域北部を占める。人口25万人。
翔安区 - 市域東部を占める。
[編集] 言語
台湾の住民は明末から清代にかけてアモイ方面から移住した者が多く、アモイで話される南語は台湾語と同じ方言である。このため、台湾人の投資が集中したわけであるが、近年では外部から流入した人口も増え、普通話が通用している。
◆アモイのスポーツ
中国サッカーリーグのプロチーム「廈門藍獅」の本拠地。廈門藍獅のホームスタジアムは、廈門市体育場。
ウキベディアより引用
【日記の最新記事】

